--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

個性という言葉はあまり使いたくない

2009年11月02日 09:35

最近、ブログがおもんない。
せめて、トップ画だけでも変えて新鮮な感じを出そう。講義中にちまちまと絵を描いてみたりしたけど、その絵をなくした。でも、これだけ寒いのに、裸婦なトップじゃ寒すぎだよな。まあ、そのうち変えます。

頭で考えてることはいっぱいあるんだけど、なかなかそれが表に出てこない。言葉にならない思いってとなんか重すぎて違うんだけど、言葉にならん。絡(から)んだ糸がほどけない感覚。僕は、糸をほどくのが苦手で、いつも適当にぐちゃぐちゃやって、ほどけるときと、糸が切れちゃうときと5分5分なんだけど、今は切れちゃってる感じだ。
考えながらほどいてく人はすごいと思う。なんでそんなに、理論的に頭が働くの?

理論と感情、どちらがより大切で、より崇高なものか、という問いがある。
理系の人は理論を重視するし、文系の人は感情を重視する、という見方があるけども、僕はそれは愚問だと思う。
医療の発達だって、人間が「もっと長生きしたい」だの「痛いのは嫌だ」と思うことがなかったら、進まなかっただろうし、芸術作品だって、いくらか計算された美しさがあって初めて、人に認められるものだからである。
どっちが欠けても、何も進まない。
人間だって、理論を並べるだけで感情がない人も、感情だけで突っ走る人も、どっちもダメだろ。
(妹が一緒に見ようというので、月9見てますが、その影響じゃないことだけ言っておきます。)

自分からの発信がうまくいかないときは、他人からの発信を思う存分に享受(きょうじゅ)しようと思い立ち、ここ最近はいろいろなものを見た。
毎日、ストリートライブを見に行った。(その中で、フルート×ギターのユニットが気に入り、CDまで買ってしまった。Fairy taleというらしい)
ストリートで売っていた、写真と詩のポストカードも買った。MJの映画も観にいった。

その人の内面的なモノがグアアアアッって押し出されて自分の中に入ってくる。
その感覚がすごくたのしい。

文章でそのグアアアアッってのを表現するのは難しいけど、なんかそういうものができないかな。
と思って僕は、小説を書いている。(ブログじゃないんかい)
スポンサーサイト

酔ったジジイが言いそうなこと

2009年11月04日 18:08

お知らせにも書いたけど、あみトー2回戦出場が決定した。

1回戦での票数が公開されていたので、見てみたのだが、いまいち、読者の裁量(さいりょう)がつかめぬ。大体、日によって総票数に大きく開きがあるってことは、「どっちも面白くない」と考える読者が多かった(「どっちも面白い」と考える読者が多かったともいえるが)ということだろうか。

いずれにしても、僕の勝敗予想とはずれた結果もそこそこあって、どういう判断基準で見ているのか皆目(かいもく)わからぬ。
何がウケるのか理解できなければ、勝利は難しいだろう。

まあ、そんなことを言ってもあれだ、睦さんは睦さんの書けるものを書くしかない。

求められているものを提示するというのは、大変なことだ。
僕は昔から、要領が悪いだの、不器用だの言われてきて、自分でもそうだそうだと思い込んでしまっているところがある。
「足りない部分は努力でカバーしろ」と言われたことがあり、まあそのつもりで何度もやってきたが、それでも足りないところは埋まらない。
努力したって、結果はついてこない。そう考えてしまうことも少なからずある。

かと言って、努力をしなければ、成長はない。
その件については結果が残せなくても、人の一生という目で見れば、結果は結果じゃない。もっと言えば、人生に結果なんてない。その過程が結果になるのであって、死ぬ瞬間が結果になるわけじゃない。

結局、人生ってのは自分との戦いだ。
まあこれは、他の人もよく言ってるし、そうかもなとは思うけれども、思い返せば、自分に負けてばかりの人生のような気がする。これこそ、ダメ人間だろうか。
けどまあそんなダメなやつでも、いや、ダメなやつだからこそ、ないはずの人生の結果を何らかのカタチにして残してみたいと思うわけだなあ。

ダメってのも、アリなんじゃないかっていうのは、ただの甘えなんだろうね。
[ 続きを読む ]

なんだかもうなんだか

2009年11月06日 23:51

悪いことをしたかもしれないと思う。
でも、その行動を選択したときの自分は、それが精一杯だったとも思う。

相手が傷つくか、自分が傷つくかの二択があったとき、人はどちらを選ぶのか。自分を犠牲にしてまで、守りたい相手だったなら、それを守ってやればいい。でもそれって、結局自分が幸せになってるんだよな。だってそれって自己満足だろ。守ってもらったほうは、自分のために他人が犠牲になって、それこそ不幸かもしれない。
どっちを選択するにしろ、人は自分が幸せになるために歩いていると思う。

それを悪いとは全然思わないが、それが正しいとも思えない。
正しいのは、誰も傷つかないことに決まってる。だけど、それは本当に難しいことだ。

相手を傷つけても、結局自分に跳ね返ってくるのだと思ってしまうのは、僕が弱いからだろうか。強ければ、切り捨てて考えられるのだろうか。
相手を傷つけたことで自分まで傷ついているような僕は愚かだよな。それははっきりしている。守るために傷つけ、傷つけたことで傷つく。それを繰り返して、何をしたいんだい?

何がいちばんいけなかったんだろう。わからない限り、再び同じことをしてしまう気がする。大体、誰も傷つかない方法なんてあったのか?そんなこと考えることがおこがましいんじゃないのか?そんな余裕、どこにもなかったくせに。

あれだけ言葉を選んで話したのに、言ったことの半分も分かってもらえなかった気がする。ただあの子に残ったのは、僕への憎悪だけなんだろう。

事後報告

2009年11月08日 12:23

フってきました。

(追記になんとなく書いたけど、詳細は個別に)
[ 続きを読む ]

恐ろしくて確かめられない

2009年11月10日 00:00

早いものでもう、クリスマスのイルミネーションがつき始めた。
僕はこのイルミネーションってのがだいすきなので、毎年よく見に行く(ひとりで)。いちゃいちゃするカップルをじーーーっと見るのがすきですきでたまらない。・・・・・・言っておくけど、クリスマスの時季に、恋人がいなかったなんてことはない。誕生日は毎年いなかったけどな!はは。(今年はいました)

いやあ、クリスマスと誕生日というキーワードを並べてみたら、くるりさんのブログのこの記事のコメントを思い出した。
初めて読んだときには、「ははっ」とわらっていた僕だったが、今日は何かが引っかかる。・・・・・・なんだろう、この感じ。

くるりさんの誕生日は11月4日。11月4日。じゅういちがつよっか。ジューイチガツヨッカ。

・・・・・・・・・・・・あ。
ああああああ あああああああああああああああああああああああああああああ

その日って、僕の母親の出産予定日じゃなかった?(たしか)
僕が生まれてくるべき日じゃなかった?(たしか)


死んだ。
おそらく、クリスマスが母親とその相手の初交渉だったのだろうと推測した。うへえ。きもちわりい。
大体、今の僕には父親がいないわけだし、っていうかいたなんて考えたくもないけれども、こうやって考えてみるとなんだか生々しくて嫌だ。
いまだラブラブな夫婦であれば、少しはロマンティカルな話にもなろうが、さんざん憎みまみれで別れた男との話ともなれば、まじでないわこれ。ははははははもうわらうしかない。
あなたは、わたしの知り合いの中国人のお母さんから預かった大切な子なのよという言葉を信じるしかない。または、卵で生まれたに決まってるでしょう?という言葉を!

自分がこどもをつくるとき(があるとするなら)、クリスマスにあわせるのはやめようと思った。せいぜい結婚記念日とかにしよう。子供にわからないように。
[ 続きを読む ]


最新記事


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。